出来ることは必ずある

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みなさま
 
こんにちは。チキウヲトトノエル協会の川本竜也(たっちゃん) です(^^)
 
今年の桜の花が咲く時期は、 毎日のように散歩をすることができて、 移り変わる自然の姿がとても味わい深いものでした。
 
桜の根元で咲く草花たち、動き始める虫たち、 遠くから渡ってくる鳥たちなどの営みも感じながら、 春の日のありがたさをおもいました。
 
そんな季節に、京都で映画『カンタ!ティモール』 の上映会を開催させて頂きました。
 
僕がなぜこの映画の上映会をやり続けているかというと、 この映画に「希望」を感じているからです。 
 
東ティモールの人たちの生きる姿を通して伝わってくるメッセージ 。
 
『こんな道があるよ』と。
 
 
京都の場を主催してくださった方も映画を観て「希望」を感じ、 参加された誰よりもよろこんでいる様子が心に残りました。 映画を通じて、東ティモールの人々、 今は亡きアレックスに出会ってもらう事ができて、 本当に良かったと思いました。
 
 
その場には新聞記者の方も含めて、 長年その場所で様々な学びと対話を続けてきた方たちが集っていま した。
 
今の社会の"おかしさ"に危機感を持たれている人たちでした。
 
そのときの対話で印象に残ったのは、 今の社会の問題や国や政治のありようなどの話題を、職場や家庭、 友人との間では出来ていないという話がありました。また、 問題意識が周りの人と違いすぎて会話が成り立たないという意見も ありました。
 
僕自身もほんの数年前までは、そういった関心はあまり高くなく、 その結果、 社会や政治のことについて身近な人とあまり話をしていませんでし た。
 
だから、今の”おかしな” 社会をつくることに無自覚に加担してきたと言えます。
そして、まだまだ知らないことも多く、 今でも加担しているとも言えます。これは痛い痛い反省です。
 
痛い反省があったから、これ以上は”おかしな” 流れに加担しない存在になりたいと思うようになりました。
 
 
今年に入ってからの世界情勢、 そして日本の政治のありようを見ていると、 もの凄い勢いで秩序や倫理が崩れていっているようで、 正直言って戸惑っています。
 
しかし、そんな中でもひとつひとつの問題に真正面から向き合い、 その解決に向けて取り組まれている多くの方がいます。
 
過剰な情報の波とAIというツールが日常にも浸透し、” 自分で感じて考える” という力を急速に失っていく社会構造の中で、 その力を保ち養っていくことが最後の砦だと僕は思っています。 それを失ってしまうと、もはや人間とは言えなくなる。
 
 
僕も含め多くの人は、 良かれと思っていろいろな活動をしているはずです。
それなのになぜ、社会は良くならないのでしょうか?
 
それは僕たちひとりひとりの人間の意識が広がらず、 むしろ狭くなっていることに大きな要因があるように思います。
 
 
日本の事だけ、自分の地域のことだけ、自分の会社のことだけ、 自分の部署のことだけ、自分の家族のことだけ、 そして最後は自分だけ。。
 
1000年先のこと、100年先のこと、10年先のこと、 1年先のこと、1か月先のこと、1週間先のこと、明日のこと、 そして最後は今だけ。。
 
このような「自分だけ、今だけ良ければいい」という狭い視点は、 自分の中にあり続けるのですが、同時に「世界全体にとって、 1000年先につながっていく」 という視点も想像力を使うことで持つことが出来ます。
 
しかしそれでも、意識を広げた世界が”人間” に限られるのならば、 それは地球上の資源や命を搾取し続ける社会構造は変わることなく 、あくまで人間だけの平和でしかない。
 
人間だけが平和になっても、エネルギーも、資源も、水も、 食糧も、 過剰に消費して地球を壊していく今の社会を続けるのはおかしいと 思うのです。
 
 
地球の平和に向かうためには、 人間と大地とのつながりを取り戻すプロセスが必ず必要になってく ると思っています。僕はそこをやっていきたい。
 
それは遠くにいかなくても、大変な修行をしなくても、 目の前の日常生活の中から丁寧に氣づいていくことから始めること ができます。
 
地球(大地)は、どこか遠くにあるものではなく、 すぐそばにずっといてくれています。
そして、ぼくたちも地球に属している一部です。
 
"自分のため"と"地球のため"がつながってきます。
"今のため"と"未来のため"がつながってきます。
 
 
地球の平和とは真逆に、近隣諸国との分断を煽り、「 国民のために」 と言いながら明らかに戦争の準備を進めている日本の政治と、 それを支持するあらゆる権力を前に、 僕たち市民は何が出来るのだろうかと最近ずっと考えています。
 

あらゆる分野で同時に進む倫理崩壊のありように絶望的な氣持ちに もなりますが、すぐに結果が出るような期待を手放せば、 出来ることはまだまだ沢山あると思っています。

 

東ティモールのアレックスも言っていました。

『それでも大丈夫だから、恐れないで』と。

 

 

今、自分が出来ることって、どんなことがあるのでしょうか。

 

例えば、ある特定の国を敵視しないということ。 憎悪を増幅させないことです。

 

特定の国を敵視する攻撃的な情報が溢れていますが、「 国と人は違う」ということを忘れないでいたい。 これも東ティモールの人たちが言ってくれていたことです。

 

攻撃的な情報に無自覚に同調しないように氣をつけたい。 例えば同じ日本人といっても考え方はみんな違うという当たり前の ことを、他国の人に対しては忘れてしまいがちです。

 

そして、他人の罪は見えやすく、 自分の罪は見えにくいということも心に留めておきたい。

 

憎悪を増幅させないことこそ、 身近な日常での実践から始めないといけません。

 

 

 

またひとつは、歴史、戦争について学びあい、 次の世代へ伝えていくこと。

 

僕自身の経験でいえば、 学校の勉強や新聞やTVなどの報道だけでは、 歴史というものの学びは全く不十分だったというのが実感している ことです。

 

でも知ろうとすれば、 大切なことを伝えようとしてくれた人はどの時代でもいてくれて、 大切なことを伝えてくれる書物も出されていたのです。 深く知ろうとしなかった自分の責任であり、 本当は知ることはいつでも出来たのです。

 

過去の戦争がどういった経緯で起こり、 どういった事が行われていたのか。

そこから当時の人たちは何を学んだのか。 それは今の社会に生かされているのか。

 

それを僕たちは、然るべき本を読んで学ぶ。現地に足を運ぶ。 直接話を聴く。 インターネットの情報の中にも正確な情報はありますが、 歪められた情報の方がむしろ多くて、 その判別が困難になってきています。

 

今のインターネットの情報は、リアルな画像や、動画、 図解などを駆使してあって、視覚的に分かりやすい分、 そのまま印象を受け取るだけで”自分で考えて判断していない” ことが多くなっています。

 

そこで何が大切になってくるかというと、本、そして読書です。

 

本ならなんでもいい訳ではありませんが、 著者の人が自分の人生で学んだこと、 氣づいたことを率直に真剣に自分の言葉で書いてくれている、 そういった本がいいです。

 

そういった本から”情報を得る”というよりは、その著者の” 氣づきを受け取る”感覚です。
そういった読書が心を磨き、鍛えてくれて、 心の背骨を作ってくれます。

 

受験勉強のようにテストに答えるための情報を覚えていくのとは、 まったく別の営みです。


僕もまだまだ知らないことの方が多いですが、 それでもそういった本に出会い受け取ったことが、 自分で考え自分の感覚で判断する力の大きな助けになっていると実 感しています。これからも学び続けます。

 

 

本に限ったことではないですが、かたちにして残すということは、 未来に向けて種を植える行為に似ています。

 

そのかたちは、本でなくても、 行動や表現でもいいのだと思います。

 

たとえば、ある人の言葉に前に進む勇気をもらえたり、 ある人の笑顔に幸せを感じられたり、 ある人の作品に涙することがあります。

 

それは人間同士に限らず、 自然界の存在たちからも受け取っていることに氣づきます。

 

あの場所で、指にとまってくれた、トンボさんのいのちの感触。

 

あの場所で、足元へ来て撫でさせてくれた、 ネコさんのいのちのぬくもり。

 

あの場所で、葉を大きく振って応えてくれた、 野草さんのいのちの躍動。

 

あの場所で、こちらを向いて笑っていた、 緑のタコさんのいのちのよろこび。 

 

それらも心の中に種として残ります。

 

種を自分自身の中で大切にしていくならば、 きっと未来の最適なタイミングで芽を出すことでしょう。 希望を失ってはいけない。

 

 

不調和な方向へ進むことに加担することをやめて、 調和のとれた社会になっていくことをあきらめずに、 出来る事からやっていきます。

 

 

みんなにそれぞれ違った役割が必ずあります。

出来ることは、まだまだ沢山あるはずです。

 

地球をトトノエルために。
 
 
 
 
【おすすめ図書】
 
〇アレクセイと泉のはなし (本橋成一)
〇ぼくのおじさん (アーノルド・ローベル 三木卓訳)
〇沖縄 対話の記録-台湾有事を起こさせないために- (岡本厚、谷山博史)
〇沖縄戦の図 -丸木位里と丸木俊が描いたいのちの叙事詩- (河邑厚徳)
 
 
【お知らせ】
 
※初開催!『チキウヲトトノエル対話会』 
メルマガを読んでくださっている方との対話の場を開くことにしま した(^^
5/3(日) 20:00~21:30  オンライン開催 参加費無料
参加ご希望の方はメールの返信にてご連絡ください(^^)/
 
 
 
〇糸島ランチ&お話会 5/2(土) 森の再生に取り組む"ふじいもん"との共同開催!
〇川崎ランチ&映画『カンタ!ティモール』上映会 5/17(日)
〇福岡ランチ&お話会 5/24(日)
〇糸島ランチ&お話会 5/25(月)

 

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心を痛める大切さ

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みなさま
 
こんにちは。チキウヲトトノエル協会の川本竜也(たっちゃん) です(^^)
 
今日から4月に入りました。氣持ちも一新して、 新年度を迎えた方も多いと思います。
 
桜の咲く季節でもあるので、 春の芽吹きのエネルギーを感じながら、 ゆっくりお散歩をしてみるのもいいですね。
 
さて中東で始まった戦争ですが、多くの情報が錯綜しており、 実際になにが起きていて、 どういった方向へ向かっているのか分かりにくいのですが、 世界情勢も日本の社会も分断の方へ進んでいるという危機感を僕は 持っています。
 
これ以上の人類としての過ちは重ねたくない。。
 
現地では多くの人が亡くなっていて、それは数字で伝えられます。 災害の時もそうなのですが、 そうした時にいつのまにか想像力が欠けて実感が無くなってしまう 感覚があります。
 
たとえば身近な家族や友人がなくなったときに、 それは数字にすると「1人」ということになりますが、 当事者にとっては数字では表現することはできないはずなのに。。
 
 
戦争や災害などの被害を数字だけで知ったつもりになることは、 亡くなった人の顔を知らない、 想像しないから出来てしまうのでしょうか。
 
戦争でTVゲームのように遠隔操作で攻撃が出来てしまうのも、 地雷を仕掛けたり、 原爆を落としてしまう事が出来てしまうのも同じなのかもしれませ ん。
 
あえて現実味を感じないように、 想像力が働かないようにしているのでしょう。
 
(逆に戦争の現場では、 人を人として見ずに普段では想像できないほど残酷になってしまう のも、人間の恐ろしさとしてありますが。。)
 
 
でも戦争ではなくても、 たとえば身近に見かける殺虫剤や除草剤を撒くといった行為や、 ニュースで流れる鳥インフルエンザでの”殺処分” という言葉なども、 どこかが共通しているのではないかと思えてきました。
 
 
翅が汚れて飛べなくなっても、 それでも生きようと力を振り絞るミツバチさんの姿。
 
まだ寒い時期に、 冷たい地面から小さく芽を出しているチューリップさんの姿。
 
傷ついて弱り、 拾い上げた手の中でゆっくりと命の火を消していくカナヘビさんの 姿。
 
 
出会った彼らの姿をみると、自分の中にもある同じ” 命のぬくもり”を感じます。 そうすると彼らの顔が見えてくるのです。ほかの誰でもない、 その存在の個の顔が見えてくる。
 
 
もし、 その感覚を持ちながら自分が殺虫剤や除草剤を使うとしたら、、
やはり良心がとても痛むと思うのです。
 
でも、その感覚を切り離してしまえば、、 感情なく使えてしまうとも思うのです。
 
 
古来、 人間のいのちをつなぐために動物のいのちを殺して頂くという営み にも、本来は捧げてくれたいのちへの感謝があったはずです。
 
ところが、 普通に生活していると生き物を殺す場面から離れてしまっているの で、 殺していのちを頂いている現実が想像ができないようになっていま す。
 
『顔の見える命として、どこまで想像できるか』
 
草木にしても、虫にしても、動物にしても、人間にしても、 顔を見ようとする意志や顔をみる感性、 そこに必要な想像力が失われていった先には、 顔の見えなくなった命の尊厳、 命の尊重を見失ってしまうことが起きてしまいます。
 
そう考えると、 自分の日常と戦争の現場はつながっているように思えてきました。
 
 
情報をいくら知っても、 それで現実を本当に分かるということにはならないのだと思います 。どこまでいっても本当には分かりえないけれども、 分かろうとすることをやめてはいけない。
 
物事を俯瞰してみる目と、密着してみる目と、 どちらも必要だと思うのです。 前者は情報を知り把握するための思考の目で、後者の目は相手の立 場に立ってみる想像力の目でもあります。
 
戦争で苦しんでいる人を思うと心が痛みます。
”殺処分”されている動物たちを思うと心が痛みます。
人間の過剰な経済活動によって、 自然が破壊されていることを思うと心が痛みます。
 
でも心が痛むからといって、 それを感じないように麻痺させることは、 人間として大切なものを失ってしまう。
 
地球上の同じ仲間( それは人間だけではなく動物や植物たちも含めた仲間)が、今、 苦しんでいる。人間の欲望や争いのために殺されていることに、 心を痛めていたい。
自然を壊していることに自分も加担してしまっていることに、 心を痛めていたい。
 
僕は野菜の声を聴く料理をしていたり、 多くの存在たちの写真を撮ったりしていますが、 そういった営みを通じても、 顔の見える世界を人間以外の仲間にも広げて、”生命体人間” としての健全な感性と想像力を育んでいきたいと思っています。
 
心を痛めることが出来るからこそ、
いのちのありがたさを実感することができるのです。
 
 
 
今回の戦争がどのようになっていくのか分かりませんが、 世界を巻き込んで混乱が広がり、 あらゆる面で日本の社会にも大きな影響が出てくると思います。
 
経済的には、エネルギーも、食糧も、資源も、 ありとあらゆるものを外国からの輸入に頼って、 物質的に豊かな暮らしが成り立っていることを考えると、 それはもう避けようがない。
 
その前にやらなければならないこととして、 今の物質的に豊かな暮らしの裏で犠牲にしてしまっている多くのこ とに氣づき、心を痛め、 反省をする必要があると僕は思っています。
 
東日本大震災の時にあれだけ節電の意識が高まったのに、 結局は便利な生活、経済の発展を優先して、 僕たちの社会は原発の再稼働もどんどん進めてきてしまいました。
 
安いからと言って、気軽に買って気軽に使い捨てる。食糧、 衣料品や紙類や材木などの資源も、 外国の森林や働く人たちを搾取する構造が今もあります。
 
そういった虚構の豊かさで成り立っている日本の社会に慣れてしま っている自分に氣づくと、 これはどうしても反省をせざるを得ない。
 
今の生活が実は不自然なのだと分かると、 生活のしかたを改めていく必要に氣づきます。
 
そして生活を改めるきっかけが、 ちょうど僕の前にきていたのでした。
 
僕はこの半年くらいは経済的にぎりぎりの生活をしています。( 意図的ではないのですが。。汗)
 
そしてこの冬は、 住んでいる福岡の地域でも雨が降らず水不足になっていました。 原発に関する本にもたくさん出会えました。『 うんこと死体の復権』『デリカド』『グリーンライ』 などの映画も観ることができました。
 
その状況で自分の意識と行動が変わったのは、お金を大切に使い、 ものを大切に使い、 水や電気も大切に使う方向になったことでした。
 
十分にあるときには氣にせずに使っていたのが、 使う前に立ち止まり、 ひと呼吸を入れることができるようになったのです。
 
「これは今、本当に必要かな?」
「これはまだ使えるんじゃないかな?」
「あるもので工夫できないかな?」
 
惰性で生きるのではなく、自覚して生きることが増えました。
 
それは日常のひとつひとつに、 氣づきながら生きることでもあります。
 
スマホもAIも普及している今の社会は、 情報が猛スピードになっていて、その日常の中での氣づく”余白” が無くなっています。
 
あえてスピードを落として、 日常の小さなことに氣づきながら生活して、ときには心を痛め、 改めることは改める。とてもシンプルです。
 
それは共感する仲間が出来てから始めるのではなく、 最初はひとりからでも出来ることから始めればいいのだと思います 。
 
 
桜の咲き始めた近所の河原を散歩していると、 みどりの草叢の中にひとつだけ赤いお花が咲いているのを見つけま した。
 
「それでいいんだよ」と、教えてくれているようでした。
 
 
 
【おすすめ図書】
 
〇水俣へ -受け継いで語る- (石牟礼道子、日高六郎、鶴見俊輔、池澤夏樹、井上ひさし、 網野善彦、柳田邦男、高橋源一郎、中村桂子、若松英輔、 奥田愛基)
〇イラクの小さな橋を渡って (池澤夏樹、本橋成一)
〇まだ、まにあうのなら (甘蔗珠恵子)
〇うんこになって考える (伊名正名)
 
 
【お知らせ】
 
〇糸島ランチ&お話会 5/2(土) 森の再生に取り組む"ふじいもん"との共同開催!
〇川崎ランチ&映画『カンタ!ティモール』上映会 5/17(日)
〇糸島ランチ&お話会 5/25(月)
 

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命の中で生きる

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みなさま
 
こんにちは。チキウヲトトノエル協会の川本竜也(たっちゃん) です(^^)
 
春分の日を迎えて、気候も暖かくなってきました。
近所の桜の木も、 つぼみがふっくり膨らんで開花の準備が出来てきているようです。
 
自然界はたんたんと美しい世界を創ってくれていますが、 一方で僕たち人間は地球上での戦争をまた始めてしまいました。 とても残念だし、悲しい。
 
いつも犠牲になるのは、 侵略された国で暮らしている僕たちのような市民です。 爆弾などでの破壊だけでなく、経済や情報での破壊もあります。
 
そしてなにより、人間以外の存在たちにも大変な迷惑であって、 地球にも大迷惑でしかない。
 
まだ人間どうしで争っているんですかと、人間以外の存在たちは、 もう呆れはてているかもしれません。人間として申し訳ない。。
 
 
戦争を仕掛けたのがある特定の悪人のしわざというように見えます が、支配する権力を持ってしまった”社会システム” の働きのようにも思えています。
 
それはそれで、実体が掴めず恐ろしく感じています。
 
その社会システムに組み込まれ、 自分も加担してしまっていることに氣がつかないでいるのも恐ろし い。
 
見えていないこと、知らないこと、氣づいていないことが、 まだまだたくさんあると思っています。
 
自分で氣づいたところから、 自分自身を軌道修正していくことを積み重ねていく。
 
至らない今の自分を受け入れ、自分を見失わず、魂を売り渡さず、 希望を見出す。
 
目に見える現実と見えない現実を、同時によくよく観続けて、 かすかな光の射す方向を見定めて生きていきたい。。
 
 
今回の戦争でAIが本格的に使われ始めたと言われていますが、 ちょうどこのタイミングで、ある漫画を読み直しました。
 
手塚治虫さんの漫画『火の鳥 未来編』です。
 
僕が20年前に読んだ時には、 遠い未来の空想の世界に感じていたのですが、 最近のAIの社会への浸透ぶりを目の当たりにしてみると、 そこに描かれている世界がものすごく現実味を帯びて迫ってきまし た。
 
ちなみにこの作品が描かれたのは、 約60年前の1967年ごろだというのがまた驚きです。。
 
 
その作品の世界はこういった感じです。
 
地上は荒廃し人類は住めなくなっており、 人類は世界の5か所に巨大な地下都市を築いて虚構の文明を維持し ています。
 
地球の荒廃の前に、 政治家たちはどうしていいのか分からなくなり、 文明の支配を機械にゆだねてしまっています。
 
その社会では、人間の上位に電子頭脳が存在していて、 人間は電子頭脳の計算に従って動くように命令される社会です。 そしてプライベートも全てが電子頭脳に把握されている監視社会。
 
ある時、ヤマトという国で神のように君臨する電子頭脳Aと、 レングードという国で神のように君臨する電子頭脳Bの意見が合わ ず、人間どうしの話し合いはされずに、 電子頭脳どうしが直接議論することになります。
 
しかしお互いの正しさを主張し合うだけで電子頭脳どうしの議論は 決裂し、 お互いの電子頭脳が国どうしの戦争を始めることを決めてしまいま した。
 
そして”電子頭脳が”人間に戦争の開始を命令します。
 
電子頭脳は”死”は怖くないのです。 生命というものの実感も持っていません。したがって、 最も合理的な手段での攻撃を選択します。
 
そしてその結果は、、
 
地下に残っていた世界5か所の地下都市が、 お互いに仕掛けた核爆弾で同時に吹き飛び、 人類は一瞬にして滅んでしまうのです。 地上も放射能に汚染されてしまいます。
 
 
『人間よりも機械の意見に従う社会』
 
国どうしの戦争の話に限らず、これからは一般社会でも、 あるいは個人の関係性の中でも、 そんなことが起きてこないとも限りません。
 
いや、もうすでに一部は始まっているようにも感じます。 おかしな世の中になってきました。
 
「分からないことはAIに聞いてみる」「 とりあえずAIに相談してみる」「 AIに調査をしてもらい資料も作ってもらう」ようなことが、 ずいぶん社会に浸透してきている実感があります。
 
最終的には自分が判断するから大丈夫と思っていても、 AIが出してきた答えを批判する力が衰えてしまってくると、 自分で判断しているつもりでいても、 実情はただAIの答えを鵜呑みにすることしかできなくなっていく と思います。
 
僕は生成AIは使っていませんが、 それでもSNS等をなにげなく見ているだけでも、 デジタル情報を氣がつかないうちに自分でも鵜吞みにしている危険 を感じています。
 
生成AIが一般社会に普及をしはじめた時期から、 SNSの情報も大きく変わりました。
 
つながりのない人、フォローしていない人、広告など、 自分で集めていないのに流れてくる情報がものすごく増えました。
 
しかも、 画像や動画と合わせた刺激の強い情報に何度も触れることで、 いつのまにかそれを正しい情報として受け入れてしまうことがある のです。
(過去の戦争などでも支配層が使っていたやり方だと思います。 氣をつけたい。)
 
 
以前のメルマガにも書きましたが、デジタル情報の扱い方の中に、 すでに問題があったことを実感した体験がありました。
 
例をあげると、 SNSで流れてくる氣になった情報や記事をスマホで写真を撮って おいたり、アプリ内で保存していたりしていましたが、 それで安心しているだけで、 実は自分の中にはうわべの僅かな情報しか入っていなかったのです 。
 
情報を”知ったつもり”、”分かったつもり” になっていただけで、まさに鵜吞みにしていたのです。 内容を咀嚼して自分の心の栄養にして、 自分の生き方に生かすことまでは全く出来ていませんでした。
 
そのことを自分で自覚出来たのは、ここ数年、 本をまた読むようになったからでした。
 
デジタルではなく、紙の書物です。
然るべき人が書いた、生きた書物です。
 
 
紙のページをめくり、読み
線を引き、読み
ノートを広げ、ペンを持ち
言葉を書き写して、読む
 
自分で考えたこと、感じたことを
自分で言葉にして書いてみる。
 
声に出して読んでみるのもいい
人に話してみるのもいい
 
 
そうやって、何度も何度も言葉を咀嚼していく。
 
 
どんな読み方でもいいのですが、大事なのは「 身体を使って本を読む」ということ。そして「自分で考えて、 自分の言葉にしてみる」こと。
 
そうすることが、 少しずつ自分自身の生きていく智慧になっていく実感を持っていま す。
 
ただスマホの中でパッと読んで保存しただけの体験とは全く違うと いうことに、やってみて氣づいたのです。
 
ずいぶん遅くなってしまったけれど、 このことに氣づけて本当に良かったと僕は思っています。
 
 
そして生きた書物との出会いに関しても、 本屋さんや図書館に足を運び、本棚の前を歩き、手に取ってみる、 パラパラとめくるとピンとくる言葉に出会い、 連れて帰ることを決める。そうやって”身体を使う” のが楽しいのです。
 
 
 
『火の鳥 未来編』の最後は、火の鳥のこういった語りで終わります。
 
 
人間だって同じだ。
どんどん文化を進歩させて、 結局は自分で自分の首をしめてしまうのに。
 
「でも、今度こそ」と火の鳥は思う
 
「今度こそ信じたい」
 
「今度の人類こそ、きっとどこかで間違いに氣がついて・・・・」
 
「生命を正しく使ってくれるようになるだろう」と・・・
 
 
 
これは今の人類が同じ過ちを繰り返さないようにとのメッセージだ と、僕は思う。
 
 
人間が人間らしく。生命体である人間として。 
多くの命、大いなる命、その命の中で生きる。
 
 
その世界へ向かおう。
 
 
 
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
感想等ありましたら、ぜひ返信でお送りください。
 
 
【お知らせ】
 
〇糸島ランチ&お話会 3/29(日)
〇糸島ランチ&お話会 5/2(土) 森の再生に取り組む"ふじいもん"との共同開催!

 

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私たちの使命

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みなさま
 
こんにちは。チキウヲトトノエル協会の川本竜也(たっちゃん) です(^^)
 
このメルマガを書いている3月11日。
その15年前に東日本大震災が発生しました。
 
信じられないほど多くの犠牲があり、 その影響は今でも続いていて、、
僕たち人類に重要な厳しいメッセージが届けられた日でもあると思 っています。
 
当時、 僕はパンメーカーの会社員で茨城県のつくば市に住んでいました。
当日も工場で勤務をしており、 事務所で仕事をしている最中でした。
 
第一波。とっさに机の下に隠れましたが、 経験したこともない大きな揺れで何が起こったのか分からず、 揺れがおさまったあと現場に向かいました。
現場をまわり、 出勤していた仲間とともに屋外の中庭に避難していた時、 そこで第二波がやってきました。
 
外にいるのに大地が強く大きく揺れて、 とても立ってはいられない。
これは地球に大変なことが起こってしまったと直感しました。
 
そしてライフラインは途絶え、 それから数日間は工場に泊まり込み、 唯一ラジオからの情報で刻々と変わる津波の被害や福島原発の状況 を確認しながら、工場の復旧に向けて動き出しました。
 
そして数日後になって判明した、福島原発のメルトダウン。
 
日本は終わってしまったと感じ、放心状態になっていました。 福島から近いこの土地にいていいのかと自問しながらも、 その時の自分の役割を離れることは出来ませんでした。
 
震災発生後、 数日ぶりに自宅へ帰る時には心身ともに疲れ果てていました。 部屋に入ってみると、 中は元の様子が分からないくらいにぐしゃぐしゃになっていました 。
 
どこから手をつけていいのか分からず、 折り重なった家具を探っていると、 布団の下から僕が大切にしていたぬいぐるみが、 ひょっこりと顔を出してきました。
 
そのぬいぐるみの大丈夫そうな顔を見て、
「あぁ、僕も大丈夫だ」と思えたのでした。
 
 
そんな混乱の時期に、ある新聞記事を目にしました。
それは東北の中学校の卒業式での卒業生の答辞の言葉でした。
 
卒業式の前日に震災が発生し、卒業予定だった生徒さんも犠牲に。 。
延期されて行われた卒業式は、 震災の発生からまだ10日ほどしか経っていませんでした。
 
涙を堪えながら彼は言葉にしていきます。
 
「自然の猛威の前には人間の力はあまりに無力で、 私たちから大切なものを容赦なく奪っていきました。。。 天が与えた試練というには、むごすぎるものでした。つらくて、 悔しくてたまりません。。」
 
そして、決然と天に宣言するように彼は言います。
 
「命の重さを知るには大きすぎる代償でした。しかし、 苦境にあっても、天を恨まず、運命に堪え、 助け合って生きていくことが、これからの私たちの使命です。」
 
 
新聞を読みながら涙が出てきて、 この言葉に前に進む氣力をもらったのをよく覚えています。
 
この使命を胸に刻んでおきたい。今も読んで、 あらためてそう思います。
 
 
 
 
震災から5年後に、 帰還困難地域に指定されていた福島県の浪江町をひとりで訪れたこ とがありました。
 
つい、 今のいままで人々が生活をしていたままのような街が残っているの にも関わらず、人だけがまったくいない。 遠くに自衛隊の車が1台だけ見える。
 
建物が朽ちたゴーストタウンではなく、 人だけがいなくなっている不気味さ。
まるで人類の終わりの光景のよう。。
 
あの時の恐ろしい感覚は、ずっと忘れられません。
 
いくら復興したと言われても、 あの光景が同じ日本にあることを忘れることはできない。
 
そして15年経った日本は、、
原発の再稼働が次々と進められ、さらには新設する話や、 核兵器の保有の話まで出始める始末です。
 
外国の仲間、あるいは宇宙人からみたら、こう言われそうです。
 
『キミタチハ シマツニオエナイナ・・・』
 
原子力技術は人類にとって禁断の果実だったと思います。
(遺伝子操作も生成AIも禁断の領域に入っていると、僕は思う)
 
放射性廃棄物や放射能汚染のことを、 ただただ後世に押し付けて誰も責任を取らず、 今の世代がエネルギーの恩恵を享受する。
 
でも僕たちはそんなばかなことを今も続けていて、 その恩恵も受けてしまっている。
 
物質的な豊かさや発展に浮かれるのはもうやめて、”降りていく” ことを始めないといけない。強制的にそうなってしまう前に。。
 
電気、ガス、水道、そしてインターネットの情報通信
食材、衣類、紙やビニール袋、住居、車など
 
自分が恩恵を受けているそんな日常生活のひとつひとつに、 まずは氣づいていく。
 
そして「これは本当に必要かな?」と、よくよく観じていく。
 
過剰に使っている分や余分に持っている分は、きっと世界の誰か、 未来の誰かにとって必要な分のはずです。
 
もっと視野を広げると、人間だけではなく、動物、 植物たちも含めた、 すべての存在で分かち合う必要があるものです。
 
 
原発の問題は単にエネルギーの問題である以前に、 人類としての倫理の問題です。
人類として科学技術をどう扱っていくかの倫理ともいえます。
 
今の生活を維持(あるいは発展)することを前提にして、 エネルギーの問題を考えるのではなくて、
 
原発を使わないことを前提にして、 これからの生活を考えるのが筋道だと思います。
 
当然、 今の便利さの一部は手放していく必要が出てくるでしょうが、 そこは謙虚に受け入れます。
 
その”降りていく”プロセスにこそ、 大地とつながった人々の智慧が必要なのです。
 
 
大地とのつながりを体現している人たちから学び、 自分自身もできることから実践しつつ、 未来を共に創っていく仲間の皆さんと深くつながっていきたいと思 っています。
 
 
 
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
感想等ありましたら、ぜひ返信でお送りください。

いのちの時間をとり戻す

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みなさま
 
こんにちは。チキウヲトトノエル協会の川本竜也(たっちゃん) です(^^)
 
衆院選も終わり、 また社会が大きく動きはじめたような氣がしています。
 
選挙の結果についてはいろいろな意見があると思いますが、 より混沌とした社会へ向かっている感覚を僕は持っています。 それは日本だけではなく、 世界規模でそうなっていっているようです。
 
目の前の現実をよく観て、同時に俯瞰した視点も持ちながら、 今自分が出来ることをしていこうと思っています。
 
戦争が近づいている実感を持っている方も、 持っていない方もいると思いますが、 戦争を望んでいる方はほとんどいないでしょう。
 
戦争の悲惨さを知ると、戦争は嫌だと思います。 同じように昔の市井の人たちも最初から戦争を望んではいなかった はずです。
 
望んでいなかったのにもかかわらず、 なぜ全体としては戦争に入っていったのかを考えていくことがとて も重要だと思っています。
 
だだ「戦争が嫌だ」というだけでは、 その恐怖を利用されて戦争へ向かわされることに加担することなり ます。
 
戦争を仕掛けるのは必ず戦争の前線には行かない人たちで、 戦争に巻き込まれるのは僕たち一般の人です。 もちろんそうなれば、他国の人たちの命も、 多くの自然界の命も破壊されます。
 
 
先日、 数学者の森毅さんの45年前の1981年に書かれたエッセイを読 みました。 このエッセイは中学生の子どもたちへ向けて書かれていて、 読んでいると自分と同じ目線で語りかけてくれているように感じま す。森さんは1928年生まれ、 学生時代に戦争を体験されています。
 
『ファシストは澄んだ瞳で現れる』
 
最初のエッセイでこう語りかけて始まります。
 
『ファシストはひどい悪人のように言われていたがそうではない。 大部分はむしろ「いい子」だからファシストになった。 そうした純真な子どもをだましたのが悪い大人のファシストかとい うと、それも大部分は人のいいおじさんたちだった』
 
『 人間が理性で判断をしていれば正しい道を歩むだろうというのは、 たぶん甘い。群れているとその人間同士が情感を高めあうし、 自分がその群れに属していることが自分を確かなものにする』
 
『いまの時代、”りりしさ” へ向けて飛び立つのだけは抑えてほしい。 やさしさの世界に生き続ける事の方が大事なことである。 そして辛抱強さのいるものである。 その辛抱のなくなった時にファシズムはやってくる』
 
なんだか今の時代のことを言われているように聞こえてきます。 群れている人同士が情感を高めあうのは、 45年前に比べても現代のSNS等の言論空間では、 その傾向がより顕著です。
 
そしてちょうどこの30年の間、 社会が停滞し疲弊してきたところに、現状を打破してくれそう( にみえる)りりしい人が現れると、 そこに期待をしたくなるのも分かります。
 
でもきっと、ここが踏ん張りどころなのでしょう。
 
流れてくる情報を鵜呑みにして目先の利益に飛びついたり、 恐怖を煽られて理性を失ったりしないようにしないといけない。
 
社会システムが壊れてきたからこそ、 本当は新しい生き方に氣づいていくチャンスでもあるはずなのです 。
 
新しい生き方は、みんなで人間の原点に立ち返ること。 人間らしさを取り戻すことから始めたい。
 
政治や経済の議論は「日本だけ」「人間だけ」そして「今だけ」 の視野で展開されることが多く、10年後、100年後、 1000年後の明るい未来は見えません。 でも政治や経済を理想の未来と分けて考えなくてもいいと思ってい ます。
 
以前のメルマガで取り上げた聖武天皇は、 政治で動物や植物と共に栄える社会を実現しようとしたことが分か るし、映画『カンタ!ティモール』の東ティモールの人たちも、 国としても人としても、大地の子としてそれを生きている。
 
手塚治虫さんの作品にも、 様々ないのちが調和した世界が描かれています。1000年、 2000年ずっと先の未来まで見据えています。
 
進むべき道はそうやって示されているように感じるのです。 不可能ではない。
 
新しい生き方と言っても、新しいわけではなく、 ひとりひとりが自分の魂が知っていることを思い出して、 氣づいていくだけなのでしょう。シンプルすぎて、 それが未来へつながる道だと思えないかもしれませんが、 僕はそう思います。
 
そしてその道の先にしか、僕の見たい未来はない。
 
 
森さんは、人と人との関係について、こう語っています。
 
『優等生は劣等生の心が分からず、 劣等生は優等生の心が分からずとなったら、これは危険なことだ。 あいつらと俺たちは別だと、そう考えだすことは、 やがて相手を人間として認めないところまでいきかねない。 差別というものは、そこから始まる。 戦争のような状態までいくと、 おれたちと違うから殺しても構わないとまでなる』
 
『 そしてもっとも暴力的になるのは正義の名においてそれが行われる ときだった。人間というものは、 自分に正義があると思った方が安心して暴力がふるえるものだ』
 
『他人の心を知ることがいかに不可能でも、 相手の心を知ることができると信じること、 決して心の通い合いを断念しないこと、それが人間のやさしさだ』
 
 
 
お互いの正しさをぶつけあい、分断を深めるのではなく、
お互いの違いを認め合い、分かりあうことを断念せず、 分断を修復する。
 
後者は時間も掛かるし、 とても忍耐の必要なプロセスになるはずです。
その糸口を見つけるまで”待つ”力を、自分自身もそうですが、 社会全体としても失っていっているのも感じています。
 
野菜たちも種を植えてからすぐに収穫できるわけではありません。
早く育つことがいいわけでもない。
 
人も生まれてからすぐに立てるようになるわけではありません。
早くたてることがいいわけでもない。
 
それぞれに必要な時間というものがある。
機が熟すのを待つことが必要です。
 
欲しいものがすぐ届き、欲しい答えがすぐにわかる。 確かに便利です。
でもそれに慣れてしまうと、 だんだんと待つことが出来なくなってきていると自分でも思うので す。
 
時間を節約しているつもりで、実は時間を失っている。
 
ミヒャエル・エンデの小説『モモ』に出てくる時間泥棒の話は、 今の現実です。
 
 
急ぎすぎていないかな?
本当に時間を節約できているの?
なにか大切なものを失っていないのかな?
 
と自分に問いたい。
 
自分の中に立ち止まれるだけの余白を保ち、 急ぎすぎている自分に氣づいていたい。
 
氣づきの力で、時間泥棒から時間を取り戻して、 生きている実感のあるいのちの時間にしていく。
 
 
僕は戦争を経験した世代ではありませんが、 戦争を経験された人たちの残してくれたものをここ数年でたくさん 受け取ってきました。
 
世界中で多くの命が失われ、 戦争を経験していない僕には想像もできないほどの強烈な経験から 残してもらった後世への教訓。
 
人間だけでなく、 地球上の多くの存在たちの犠牲を払って残してもらえた歩むべき道 筋。
 
 
現代を生きる世界中の僕たちの世代が、 いま活かさないといけないと思っています。
 
これまで進んできた道が間違っていたと氣づいたら、 素直に反省してあらためていく。
 
 
先月、糸島で僕のところへ来てくれた大きな柑橘、晩白柚( バンペイユ)さん。
 
果肉もとっても美味しいのですが、 分厚い皮を捨てずに必要な時間を掛けて手を掛けると、 それはそれは美味しいお菓子になってくれました!
 
心に沁みこむ感動する味わいでした。
 
そういえば昨年も大きな果実、文旦(ブンタン) さんがうちに来てくれたのですが、 果肉だけ食べて分厚い皮は何も考えずに捨ててしまっていました。 。
 
晩白柚さんとの出会いを通じて、 時間泥棒から生きた時間をひとつ取り戻せた体験でした。
 
身近なことから、目の前のことから始めます。
 
 
 
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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 知識ではなく、氣づきを積み重ねていく実践型のプログラムです。 自分の目の前に起こっている現実に目を向けることから、 自分を発見していくことができます。 自分の魂の存在が身近になっていくプロセスでもあります。 ご興味のある方はご連絡ください(^^)
 
 
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 大切なことは繰り返し、思い出し続ける必要がある。
 
 アンコール上映会、ぜひお越しください(^^)/
 詳細は下のチラシをご覧ください。
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地球を発見する

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みなさま
 
こんにちは。チキウヲトトノエル協会の川本竜也(たっちゃん) です(^^)
 
節分、立春を迎えて、これから季節は春に入っていきます。 糸島の水仙や梅、菜の花も元気に咲いて、 いい香りを届けてくれています。
 
巷では今回の衆院選も様々な情報が溢れています。 自分が出来る事としては、 投票にいき自分の意思表示をすることをやります。 結果がどうなるのかは分かりませんが、 いずれにせよ世界は大きく動いていきそうです。
 
こういう時代だからこそ自分を大切に、自分の”魂の意志” を大切にしていこうと思っています。
氣づかぬ間に、うっかり魂を売り渡したりしないように。。
 
 
さて、最近『仏教発見!』という本を読んだので、 その事から書いていきます。
 
この本のことを知ったのは半年くらい前でしたが、先月、 東京の古本屋さんでバッタリ出会ったので連れてかえることにした のです。読んでみると、とても面白い!
 
書かれていることが直前に読んでいた他の本とのつながりがあった りして、やはりこのタイミングで読む本だったと思ったのでした。
 
この本に限ったことではないですが、 出会いのタイミングには必ず意味があると思っています。
 
自分で選んで読んでいるのですが、 同時に誰かに読まされている感覚になることがあります。 その出会いを運んでくれた見えない”計らい” に氣づいたときには、素直に感謝が湧いてきます。
 
この本で特に印象に残ったのが、聖武天皇のことです。 中学生の時に歴史の授業で名前を覚えた程度で、 そこにあった物語に今回はじめて触れることができました。
 
聖武天皇が27歳の時に待望の男子が誕生しましたが、 満一歳を迎える前に病気で亡くなってしまいます。 その深い悲しみを経て世の無常を感じ、地震旱魃や飢饉、 病気の蔓延、世相も荒れていた時代に大仏の造立は決意されます。 聖武天皇42歳の時でした。
 
その際、聖武天皇が『大仏造立の詔(みことのり)』 という文を出しています。それはこんな内容です。
 
自分は徳もないのに天皇になった。 一生懸命にやってはいるが十分ではない。 仏教の力でなんとか天地を豊かにしたいと思う。 このように聖武天皇は語りはじめます。
 
『万代の福業を脩めて、動植ことごとく栄えむとす』
 
動物も植物も栄える世にしたい。人間だけではなく、 そのほかの動物も植物も、みんなが栄える世にしたい。 だから大仏造立を決意したのだと、聖武天皇は言います。
 
『それ、天の下の富を有つはわれなり。 天の下の勢を有つはわれなり。この富と勢とをもちて、 この尊き像を造らむ』
 
天下の富と権力を持つのは私だ。その富と権力で大仏を造る。
 
『事成り易く、心至り難し』
 
そうしてしまうのは簡単だが、それでは心至り難し。 つまり富と権力で造るのでは、”だめだ” と聖武天皇は言っているのです。ではどうするのか。
 
大仏造立に関わる人は、一人一人が盧舎那仏を造るように。 そして、大仏を造っている時からその盧舎那仏を毎日三度、 拝むように伝えました。
 
『人有て、一枚の草、 一把の土を持ちて像を助け造らむと情に願わば、 ほしいままにゆるせ』
 
像を造るのに役立ててほしいと一枚の草、 一握りの土を持って人が現れても、 実際の大仏には使えないでしょう。しかし、 そういったものを許せと言っている。
 
そういう人たちが現れてくることを願っていた。 そういう人たちの願いを結集して造らなければ、 大仏を造る意味はないと聖武天皇は考えていた。
 
失われた”大地との絆”をふたたび結ぶには、 一枚の草や一握りの土を持って集まった数限りない人々の思いを大 仏に結集させるしかない。
 
 
 
今から約1300年前の時代に、人間だけでなく、動物、 植物も含めたすべての生きものの平和を願った人がいた。 しかもその人は富も権力もありながら、それを過信することなく、 みんなで心を寄せ合う過程にこそ意味があると言っているのです。
 
 
富と権力で命令して動かしてしまえば、 像はすぐにできるかもしれませんが、 大切なものを置き去りにしていく。 そのことを聖武天皇はわかっていた。
 
プロセスをすっ飛ばして結果を早急に得る。 結果を得るスピードがどんどん増している現代の社会を見ていると 、大切なものが無くなっていっている氣がしています。
 
例えばこのメルマガもAIを使えば、 あっという間にもっともらしい内容で、 僕以上に綺麗な文章で書けるのでしょうが、 それだと書いている僕の中に何も生まれないし、何も残らない。
 
そしてそんな文章は、読んでいる人の中にも何も生まれないし、 何も残らないと思うのです。
 
表層的に自我と欲を刺激し合うことは起きても、 真に自分自身を見つめて魂の響き合うようなことは決して起こらな い。
 
 
聖武天皇のこのエピソードに出会えて、まさに仏教発見!でした。
言い換えると、仏教と出会えた!という感じでしょうか。
 
それは知識として知るのとは違って、自分の中にもあった! と氣づくことにも近い。
 
このエピソードが歴史的に正しいとか、証拠はどうとか、 そんなことは僕にとってはどうでもいいんです(笑)
 
僕がこのエピソードから、大切なことを受け取り、 自分の生き方に活かすことが出来たならば、 僕にとっては価値のある出会い、発見だったということです。
 
 
 
先日、 糸島の山の方に行った時に貯水池の水位の低さを見てびっくりしま した。他の地域でも水不足の話が出ていますが、 現実を見ると実感することができました。
 
あたらめて水だけではなく、森や山にも、 そして地球にも意識を広げてみる。
 
そして、当たり前に”ある” 時にはそのありがたさを忘れてしまうことへの反省と、改めて” ある”ことへの感謝をしていく機会にしたい。
 
そして日々心をあらたにして、大切なものを大切にしていく。
 
お水も、空気も、電気も、ガスも。
建物も、道具も、通信環境も、お金も。
 
関わりのある人も、動物も植物も、虫たちも、菌たちも。。
 
地球さん、月さん、太陽さん、さまざまな星々。
 
関わりのあるすべての存在。
もちろん緑のタコさんも。
 
あるときには氣づかない、失ってからはじめてわかる大切さ。
 
失ってからでは遅くて手遅れなこともあります。
 
失う前に、もう氣づかないといけないタイミングだと思うのです。
 
 
だから僕は『地球発見!』『魂発見!』を日々していきたいし、 伝えていきたい。
 
そして、一緒に発見していける仲間がいるというのも、 ありがたいのです。
 
 
 
 
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 詳細は下のチラシをご覧ください。

 

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大切に受け取る

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みなさま
 
こんにちは。チキウヲトトノエル協会の川本竜也(たっちゃん) です(^^)
 
年始の東京滞在の間に、 調布にある武者小路実篤記念館へ行ってきました。 そこは2回目の訪問で、 初めて訪れたのは1年半くらい前だったと思います。
 
実篤さんのことをほとんど知らず、 作品も全く読んだことがなかったので、 初めての訪問では一冊の本を買って帰りました。『真理先生』 という作品で個性的な登場人物による会話が楽しく読めました。
 
『真理先生』に「馬鹿一」という絵描きさんが出てくるのですが、 実篤さんはどうもこの人物に自分自身を投影していたようなのです 。
 
それを今回の訪問で知ったので、『馬鹿一』 というタイトルの本を買って帰ることにしました。
 
この作品も登場人物たちの会話が面白い。 そして読んでいて感じたのは、実篤さんは馬鹿一を通じて、 確かに自分の言いたいことを言っているということでした。
 
そしてその言葉は、 まるで僕自身の言葉のようにも思えてくるのです。
 
馬鹿一が絵を描くことと、 僕が写真に撮ることの根っこがとても近い氣がしました。
 
馬鹿一は自然の美を心底愛しています。その自然とは身近にある、 他の人から見ると何の変哲もない草木石などからも見出していきま す。
 
『君はあきるほど見たことがあるのか、 見ない前にあきているのじゃないか。よく見たことがないから、 同じに見えてそこに千変万化がある面白さがわからないのだ。 よく自然を見ない奴に限って自然を馬鹿にする。 見あきることができるのは、くだらない人間のつくったもので、 自然のつくったものではない』
 
そんな馬鹿一の言葉を聞いた友人は、こう言います。
 
『見るもの皆、彼には美しく見え、 描いてほしがっているように見えるらしい。』
 
 
僕も写真を撮るときに出会うお花や虫たち、 そしてその出会いを喜んでいる緑のタコさんも、 写真に撮ってほしがっているように感じるのです。
 
お店に買いものに行くときも、そこにいる野菜たちが、 手に取って連れて帰って欲しがっているように感じるのです。
 
古本屋さんへ行く時も、 そこの棚にいる一冊の本が連れて帰ってくれと目に飛び込んでくる のです。
 
そういった感覚を感じたことがある人は、 実は多いのではないかと思います。
 
そして、 その感覚を頭で打ち消すことなく大切にしてほしいのです。
 
「気のせいだ」「自分の思い込みだ」と切り捨てるのではなく、 本当にその存在たちの気持ちが伝わってきたんだと、 伝えてくれたんだと、大切に受け取ってほしいのです。
 
 
 
作品中にあった詞がとてもいい。 僕のその感覚をよく表現してくれています。
 
友人が馬鹿一に、道端で拾った石をプレゼントしたときの詞です。 友人は半ばからかいの氣持ちで石をプレゼントしましたが、 馬鹿一はその石をとても喜んで受け取りました。
 
『おまえは道ばたにおちていて
 詩人の処へゆきたいと願っていた
 すると一人の男が来て
 おまえの無言の言葉を聞いた
 そしておまえを拾って
 詩人の処に持ってきた
 おまえは無言で喜んでいる
 そして無言で詩人にお礼を言ってくれと言う
 おまえをここまで運んでくれた人に。
 おまえはついに詩人の処にきた
 おまえはついに安住の地を得た
 千年たつと、お前は宝石に化するであろう』
 
石の無言の言葉。石が無言で喜んでいる。
本当にそういう感じなのです。
 
 
以前のメルマガで中西悟堂さんのことを書きましたが、 その悟堂さんに縁のあった書生さん(後に画家になる) の石川鴻兒さんにも、馬鹿一は似ている氣がしました。
 
石川さんは6年間もデッサンの修行をして、 ついに油彩を始めたときの悟堂さんとの会話です。 初めて描いたのは草履だったそうで、 石川さんは悟堂さんにこう話しています。
 
『おい、俺、とうとう油を始めたよ』
『ほう。何を描いた?』
『草履を描いた』
『何だって?草履だって?』
『それがよ。素敵に素直な草履なのだな。薄汚れた草履だけど。』
 
石川さんも草履の中に、 描かずにはおれない美を見ていたんだと思います。
 
 
馬鹿一は自分に正直に自分に素直に生き、 自然が見せてくれる美を誠実に描きたいだけであり、 人からの評価なぞ意に介していない。
 
馬鹿と言われようがなんと言われようが、 自分の人生をがっちりと歩きます。
 
僕もそんな域になっていきたい。
 
 
この本を読んでいた日、石や草履ではありませんでしたが、 街で何とも素敵な”やかんさん"に出会いました。
 
見た瞬間に『あっ、かわいい♪』と思い、手に取るとさらに『 かわいい♪♪』のです。
 
レジに持っていくときは、自然と大切に両手で抱えていました。 レジでは店員さんが「倉庫に新品の在庫があるか見てきます」 と探しに行かれました。
 
そして帰ってこられて「 展示していたこの現品が最後になっていますが、 こちらでよろしいでしょうか?」と言われました。
 
もちろん現品でいいですし、むしろこの現品のやかんさんがいい!
 
両手で抱えていた時からこのやかんさんとのご縁をジンジンと感じ ていたので、 このやかんさんを迎えられることをとても嬉しく思いました。
 
そして帰るときはリュックに入れて、 その重みを感じつつ背負って帰りました。
 
こうして迎えたやかんさんは、 おうちの人たちに大歓迎されました。
 
なぜならば、その家ではしばらくやかんが不在で、 素敵なやかんさんとの出会いを2ヶ月ちかくも待ち焦がれていたの でした。
 
こんなに歓迎されると、やかんさんも嬉しいよね。
 
よく朝、 コンロの上でさっそく口から元気に湯気を吹いていました。
 
見ればみるほどかわいいな!
 
あとは、 うっかり空焚きでやかんさんが痛まないように祈っています。。笑
 
 
 
 
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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〇川崎ランチ会&お話会 2/23(月)㊗
茅ヶ崎ランチ会&お話会 2/28(土)
 
〇茨城神立『カンタ!ティモール』上映会 2/22(日) 
 
 大切なことは繰り返し、思い出し続ける必要がある。
 
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